一刻(ひととき)の華やぎ窓に虹の橋 故 塩田薮柑子
この句は、令和4年6月に93歳で身罷りました夫、蟻塔会第二代主宰 塩田薮柑子の辞世の句です。薮柑子は京都市内のマンションの10階を終の住処として、東側の窓から眺められる比叡山や、8月16日の大文字の送り火で有名な如意ヶ岳に続く東山連峰の四季折折の風情を楽しんでおりました。比叡山の初冬の山頂の雪景色や夏の夕陽が貼り付いて真っ赤に輝く山肌等によくカメラを向けておりました。
特に私達が心をときめかしたのは、突然に比叡山の手前あたりに見事な虹が大きな半円を描く時でした。いつも比叡山の手前当たりの同じ場所なのです。
窓一杯に虹が急に現れた時は、二人で言葉なく七彩が消えるまで眺めるのが常でした。この句はそのような時の一句です。
老境に入ってからは足許不如意でしたので、遠出はあまりできなくなり、いつもリビングの定位置の椅子から東山連峰を眺めながら句を捻っておりました。自然からの贈り物のような美しい虹がゆっくりと消えていく儚さを人生行路に重ね合わせて「一刻の華やぎ」と詠んだものと思います。
蟻塔会第三代主宰 塩田里美